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東大和の『あおぞら整体院』院長のブログ【幸せを呼ぶ!健康生活のススメ☆】

東大和市「あおぞら整体院」の院長がつづる、本当の健康とキレイを手に入れて、幸せな人生を歩く方法。

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施術に対するこだわり

このページでは、私の施術に対するこだわりを知っていただこうと思います。

■とあるマッサージ師との出会い

私が、まだサラリーマンで、トライアスロンにのめり込んでいた頃。
会社帰りにいつも寄っていた、新宿のスポーツクラブにマッサージルームがありました。

当時、私はプロの施術を受けたことがありませんでしたが、
初めて、フルタイプのレース(佐渡)に出場した後に、
このマッサージルームでプロフェッショナルの施術を受けました。

その頃の私は、「痛ければ、痛いほど効く。」と思っていましたので、
プロの施術は、さぞかし痛いんだろうと思っていました。

そして、ドキドキワクワクしながら、マッサージルームを訪ねました。
ところが、そのマッサージ師の施術は全く痛くないのです。
全く痛くないので、なんだか拍子抜けしてしまいました。

「プロの施術って、こんなもんなの?なんだかがっかり。」

ところが、です。

10分もしないうちに、体が芯から熱くなって来て、
体中の血液が、グルングルンと体中を駆け巡っているのが解るようになって来ました。

なに、この感覚!はじめての感覚!

40分のコースだったのですが、
終わったときには立ち上がるのも困難なくらい体の力が抜けていて、
まさに、骨抜きにされた感じでした。

ぜんぜん痛くないのに、この効果はなんだ!

これがプロの施術か!と、とても感動した事を覚えています。

■プロにもいろいろな施術がある。

最初に受けたプロフェッショナルの施術があまりにも感動的だったので、
プロフェッショナルはみんなこういうものなんだろうと思ってしまいました。

それからは、いつも同じ人を指名して、マッサージを受けるようになったのですが、
しばらくして、私は福岡に転勤になってしまいます。

福岡に赴任しても、やっぱりマッサージが受けたくて、
いろいろなところで施術を受けましたが、誰一人として、同じ施術をする人はいませんでした。

いろいろな施術を受けて見て、同じ施術をする人がいないという事実は、
この仕事の奥の深さを知るとともに、最初に受けたあのマッサージが、
私にとっては最高によい施術だったんだと、知ることになりました。

そして、この業界に興味を持つキッカケも、あの最高の施術が忘れられないからでした。

■私のこだわり

いまでも、私はあの施術を追い求めています。

痛くないのに効く。

整体師を目指して、ナショナル整体学院に入学してから、ずっとそれを目指しています。

一般的には、強く押したほうが効果が出ると思われるかもしれません。
例えば、粘土やうどん粉をこねる場合、強いほうが早く効果が出るかもしれない。

でも、私達が扱うのは、生身の人間なんです。
強い施術に対して、人間の体はどう反応するか。

「痛い」という感覚は、動物にとっては、「この刺激やばいよ!」の合図です。

ヤバイと身体が判断すると何が起こるか。
それは、身体が防御という体勢をとることになります。
具体的には、筋肉に力を入れて耐える、あるいは、跳ね返す。ということです。

これでは、硬くなった筋肉を緩めることなど出来ませんね。
緩めることが出来なければ、骨抜きになった感じにはなりません。

硬くなった筋肉に対して、力ずくで対応すれば、筋肉はますます硬くなります。
これは、生理的に正しい反応です。

逆に、優しい刺激ならば、筋肉はリラックスして柔らかくなります。

「痛ければ痛いほど効く。」というのは大いなる間違い。勘違いです。

単純に筋肉をやわらかくするだけではなくて、関節の位置を矯正するのも同じです。
無理やり、骨を動かそうとするのではなくて、自然にもとの位置に収まるように、
生理的な反応を起こします。

したがって、全く痛くないし、自然に戻っていますので、いつ戻したのか気が付かないくらいです。

さらに、無理やり戻していないので、効果が長持ちします。
身体が、反発しないので、長持ちするのです。

あおぞら整体院に何回も来ていただける方は、そこを実感されています。

あおぞら整体院の施術のこだわりは、

痛くない。気持ちいい。そして、長持ちする。

派手さは有りませんが、技術力には自信があります。

ぜひ、私のこだわりの施術を受けてみてください。
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整体師になった経緯

このページでは、私が整体師になった経緯を書きたいと思います。

■トライアスロンとの出会い

大学4年の頃のことです。
当時硬式テニス部に所属していた私ですが、研究室のOBが集まる旅行に参加した私は、旅行先でテニスをしていました。
そこで、脚を捻挫してしまったのです。

すこし太り始めていたのを気にしていた矢先だったので、体重のせいで足首を捻挫したんだろうと思いました。
それで、ダイエットを決意します。

ところが、足首を捻挫したので、走る事が出来ません。
そこで、夏の間、大学のプールで黙々と泳ぎ続けました。
足首に負担がかからないように、バタ足をしないクロールで。

夏が終わるころには、この泳ぎ方で1kmくらいは泳げるうよになっていました。
そして、ダイエットも8kgぐらいの減量に成功し、身体がとても軽くなって嬉しかった事を覚えています。

この経験がきっかけになり、もともと興味を持っていたトライアスロンにチャレンジする事を決意します。

トライアスロンの練習を開始してまもなく、お酒を飲んだ翌日のトレーニングがキツイという事に気がつきました。
それが、例え缶ビール一本だとしても、体の重さが違うのです。

それまで、どちらかというとお酒が好きだった私が、缶ビールさえ飲まなくなってしまった事に、周囲の友人たちは、信じられないという顔をしました。

この頃から、どうしたらトレーニングの質を上げる事が出来るか、効果を出す事が出来るか。
また、どうしたらトレーニングの疲労を効率よく取り除く事事が出来るのか。

何を食べるか、何時間寝るか、どういうトレーニングをしてどういうケアをすればいいのか。
トライアスロンという持久系の競技は、人間の総合力が試されるのです。
ただ、筋力や筋持久力、心肺機能だけではなくて、消化吸収能力や、疲労回復能力まで、すべての力が試されます。

トライアスロンに参戦して2戦目。鹿児島県の徳之島で行われたレースに参加したのですが、
レース当日は好天に恵まれ、6月といえども南国の日差しは真夏のように容赦なく照りつけていました。

そんな中、私はレース経験も浅かったせいもあるのですが、バイクパートでハンガーノック状態になってしまいました。
ハンガーノックとは、要するにガス欠状態で、エネルギーがきれてしまったために、身体が動かなくなる事を指します。

そのとき、バイクジャージのポケットに、参加賞としてもらったカロリー〇イトがある事を思い出し、乾いた口でぼそぼそと必死で飲み込みました。
すると、見る見るうちに身体に力がみなぎってくるのがわかりました。

また、そのレースは、とても気温が高かったため、脱水症状を訴える選手が続出しました。そのためか、エイドステーションには、大量の塩が盛られ、選手はそれを舐めながら走っていました。

また、水をのみ過ぎて、胃が水分を受け付けない状態になっている人もかなりいて、そうなると、脱水症状は免れません。
まさに、トライアスロンは、内臓も丈夫でなければならないスポーツでした。

また、トレーニングで大量に汗をかいた日は、喉が渇いて夜中に目が覚める事がよくありました。
そんなときの為に、水筒を枕元において寝るのですが、喉が乾いて目を覚まして、その水筒の水を飲むと、すぐに汗が噴出してきます。

そんな体験をするにつれて、人間の身体の凄さ、面白さに興味を持つようになりました。

また、アマチュアアスリートではありましたが、レース前はコンディショニングに気をつかいました。
レース当日のコンディションが、レース結果に直接現れるためです。
レースの一週間前からお酒を控え、睡眠をたっぷり取ります。
食べ物も、胃腸になるべく負担がかからない、腹持ちの良いものを選びます。

まさに、生活のすべてが、トライアスロンを中心に回っている感じでした。

■サラリーマンはプロじゃないのか?

こうした経験によって、人間の身体に興味を持つようになった私ですが、トライアスロンを始めたのは、すでに、大学院に進学してからでした。
わがままを言って、大学院まで行かせてもらったわけですから、当然、その方向で就職する事を考えていました。

トライアスロンはあくまで趣味だったのです。

ところが、サラリーマンになって一つ疑問に思う事がありました。
それは、あまりにもコンディショニングについて、何も考えていない人が多い、ということ。

残業が続いている私に向かって、

「たいへんそうだなあ、たまには飲みにいくか?」

と、誘ってくる先輩。

「早く帰って寝たほうがいいぞ。」のほうが、正解だと思うのだけど。

飲みに出かけて、午前2時、3時まで飲んで、翌日二日酔いでくる人。
栄養のバランスなんて、絶対考えていないと思われる食事をする人。
タバコを一日に何本も吸う人。

サラリーマンって、サラリーをもらっているって事は、プロフェッショナルと言うことだと思う。
アマチュアのトライアスリートだって、アレだけコンディショニングに気をつかっているというのに、なんで、プロフェッショナルがこの程度なのか?

コンディションを調整して、最高のパフォーマンスを発揮するのが、プロフェッショナルなのではないのか?

そんな疑問が湧いてきました。

■からだを壊すまで働いて一人前?

ある時、関連会社の同い年の友人に久しぶりに会ったら、げっそりと痩せていてビックリした事がありました。

彼は、某大学の水球部出身で、ガタイが良くて、いつも元気でナイスガイだったのですが、見る影もなくなっていました。

私が驚いた顔をしていると、隣にいた彼の先輩が、
「こいつ胃潰瘍で入院していたんだよ。これでこいつも一人前だよ。」
と言ったのです。

「病気になって一人前。」

勿論、冗談で言った事はわかっていますが、そういう冗談が出ると言う事は、日本のサラリーマンの多くの人の潜在意識の中に、こういう価値観があるんだという事を、まざまざと見せ付けられた気がして背筋が寒くなりました。

彼の会社は、日本でも有数の超一流企業です。
その会社の社員でも、そういう感覚があるという事に恐ろしさを覚えました。

■私がうつ病に。。

そんな、人一倍コンディショニングに気をつかっていた私ですが、
あるとき、いつの間にやら、火中の栗を拾うような案件をまかされてしまう事になりました。

いわくつきの案件なので、客先には、私がべったりと張り付いて仕事をしていると言ってありました。
実際は、私は別の案件も沢山抱えていたのですが。

さらに、悪い事に、そのいわくつきの案件を手伝ってもらっていた業者の方が、突然、交通事故で亡くなってしまったのです。

昨日まで一緒に働いていた人が、いきなり亡くなる。
この衝撃は、私にかなりのダメージを与えました。

死ぬのなんて、まだまだ先の話。
70代くらいのことだろうと思っていたのですが、人間ってこんなにあっさりと逝ってしまうんだと言う事を実感して、私は混乱しました。

死は、ずっと先の話ではない。いつも身近に、すぐそこに潜んでいる。
たまたま、今までそれに出会わなかっただけなのです。

もしかしたら、今日会社から帰る途中に、車に撥ねられて死んでしまうかもしれない。

これは、私の人生観にとって、コペルニクス的といえるくらいの変化をもたらしました。

それまでも、人生について悩む事は多々ありましたが、この出来事以降、深く深く考えるようになり、
その挙句、うつ病になってしまいました。
病院に行かなかったので正式に診断はされていませんが、当時の状態から考えると、間違いなくうつ病と診断されたと思います。

■やっぱり好きな事をやろう!

トライアスロンに出会って、人間の身体の面白さに惹かれた私は、
普通のサラリーマンたちのコンディショニングの不味さや、
仕事でからだを壊してしまった友人のような人を減らす為に、
何とかしたいと思うようになりました。

そして、人生は一度きりしかなく、しかも、いつ終わるかわからない。

そういう現実に直面して、

「いつかやりたい事をやろう。」と思ってきたけど、そのいつかは来ないかもしれない。やるなら今しかない。

そう思うようになったのです。

それで、会社を辞めて、整体師になる事にしました。

■整体師としてやりたいこと

やはり、多くの方に健康大切さを知っていただき、コンディショニングに力を入れていただきたいと思っています。
そのためのお手伝いができれば幸いです。

しかし、自分ひとりでは限界があります。
幸い、私は、整体専門学校の講師をしております。
多くの優秀な整体師を育て、沢山の方を健康にしたいと思います。

こんな私に興味を持っていただけたなら、ぜひ、あおぞら整体院に来てください。
私が、責任を持って、コンディションを調整させていただきます。

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プロフィール

私のブログに興味を持っていただきありがとうございます。
このページでは、私のプロフィールを紹介したいと思います。

■誕生
1965年(昭和40年)5月28日(金) 東京都武蔵野市の武蔵野日赤病院で生れる。
父は高校教師。母は小学校校長の娘で、
親戚には教師が沢山という家庭の末っ子長男として生を受けた。
七つ年上の姉は一卵性双生児で、子どもの頃は「母親が3人いるみたい。」と思っていた。

■学歴
1972年4月 東京都保谷市立(現 西東京市立)保谷第二小学校に入学。
1974年4月 東京都保谷市立(現 西東京市立)東伏見小学校に転入。
1978年4月 東京都保谷市立(現 西東京市立)柳沢中学校入学。サッカー部とコーラス部に所属。
1981年4月 東京都立保谷高等学校入学。ラグビー部に所属。
1985年4月 一年の大学浪人の後、九州芸術工科大学音響設計学科入学。硬式テニス部に所属。
1989年4月 九州芸術工科大学情報伝達専攻科修士課程入学
1991年3月 同修士課程終了
        (後に、九州芸術工科大学は、九州大学に吸収された。冗談みたいなホントの話です^^)

■職歴
1991年4月 石川島防音工業株式会社(現 株式会社アイ・エヌ・シー・エンジニアリング)入社。
新宿本社勤務。主に、発電所をはじめとする各種プラントの騒音、振動対策コンサルティングを担当。

1994年7月 福岡市にある同社九州営業所に転勤。
主に、九州電力、沖縄電力の発電所の騒音コンサルティングを担当。

1997年9月 同社 新宿本社に転勤。
1999年3月 同社を退社。

■整体師の道へ
2000年4月  ナショナル整体学院スポーツトレーナー科入学
2001年2月  中村整骨院(現 大和整骨院:東大和市清水)に勤務
2001年3月  同校卒業
2001年4月  ナショナル整体学院 立川校 非常勤講師となり現在に至る
2001年5月  中村整骨院を辞め、スポーツラブエグザス付属 エグザス接骨院入間に勤務
2003年11月 エグザス接骨院を退職
2003年12月 あおぞら整体院を東大和市南街にオープン

■スポーツ歴
スポーツは基本的に苦手だったが、これまでいろいろなスポーツを経験してきました。

小学生時代 水泳、サッカー
中学生時代 サッカー
高校生時代 ラグビー ラグビー部では主将を務める。
大学生時代 硬式テニス・自転車ツーリング
大学院時代 トライアスロン
会社員時代 トライアスロン・スキー・ゴルフ

基本的に、どれも下手くそでしたが、沢山のスポーツをやってきた事から、
人間の身体に興味を持つ結果となり、今の仕事につながっています。

■性格
「くそ」がつくくらい、いたって真面目。
子ども時代はいわゆる「いい子」。
それが後々、自己肯定感に乏しいパーソナリティとなり、精神的に苦しむ事になった。

とにかく、世間の常識の許す範囲内で生きてきたために、途中でえもいわれぬ閉塞感に襲われる。
うつ症状が出て、自分の人生について真剣に悩み、一度、人生をリセットしたいと考え、
会社を辞めて自分の興味が湧く分野に転身する事を決意しました。

このパーソナリティは、もって生れた部分と、家庭環境によって育まれた部分があると思います。
父は教師、母は教師の娘、親戚にも教師が沢山いるという家庭環境は、
人間として立派に育つ事が当たり前だとの価値観があったように思われます。
そして、そのためには、まだまだ未熟な自分を常に認識していなければならず、
自己肯定感の欠如につながったのではないかと考えています。

今は、完璧な人間などいない、未完の部分があるのが当たり前で、
その部分を含めて、自分というパーソナリティが形成されているんだと思えるようになりました。

現代においては、私のような悩みを持つ人は、沢山いるのではないかと考えています。
そういう人たちに対して、悩まなくていいんだと伝えたい。
その思いもまた、この仕事に興味を持ったきっかけだといえると思います。

■将来の夢
この仕事を通して、一人でも多くの方の健康に寄与したいと思っています。
もちろん、私一人でできることなど限界があると思っているので、
沢山の人を巻き込みながらでも、多くの人の健康に寄与したい。

健康は、肉体面もさることながら、精神面もとても大切です。
あらゆる角度から、健康について考えていけるようになりたいと思っています。

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